皆さんこんにちは!STORY CAREERの渡邉です。
サービスを利用している学生の中から、米本明(よねもと あきら)君にインタビューをさせていただきました。
非常に読み応えのある記事なので、ぜひご覧ください!
– 本日はよろしくお願いします!まずは簡単に自己紹介をお願いします。
同志社大学グローバル地域文化学部3回生の米本明です。
オーケストラの指揮者をしています。
高校で既にやっていたので、入学後はあまり何も考えずに大学にある『同志社交響楽団』に入りました。
– それは部活のようなものですか?
そうですね。実質部活みたいなものです。練習は週3回くらいですが、高校の時よりもキツかったです。
– そうなんですね!どのような活動内容だったんですか?
平日2回、土曜日1回が基本で、プラスアルファで日曜日に練習がありました。
平日は18:00~21:00、土曜日は15:00~21:00、日曜日は13:00~18:00で、高校の時に比べて、かなり練習時間が長かったです。
あと、楽しくなかったです(笑)これもきついと感じた要因だと思います。
– どんなところが楽しくなかったですか?
高校の時は音楽をただやるだけではなく、メンバーとは家族みたいな関係で、休み時間に遊んだり、一緒にご飯に行ったりしていました。
そういうものが大学では比較的なかったんですよ。
あと、高校時代はかなり『表現』に力を入れていたんですね。「どう表現するか」ということをずっと考えていました。
「もっと力強く」「もっと甘い音で」「もっと長く」とか、そういった部分を重視していました。
音程を捉えるのが苦手だったという理由もあるんですが、演奏者が音程のズレとかは一番わかるんですよ。
だから、すごい本質的な練習をしていたと思います。
でも、大学はそうでなかったんです。
それに、そもそも練習と本番で指揮者が違うんですよ。
大学は本番だけプロの指揮者が来て、偉そうに指揮棒を振ってるんですよ(笑)
そうすると、表現の部分は本番の指揮者に委ねられるんで、練習では音程のことばかりを言うんですね。
「本質的じゃないなあ」と思っていました。
こういう状況なのに、「練習に絶対に行かないといけない」「出番を待っている時も練習しないといけない」そういう縛りが強いところも苦痛に感じていました。
高校時代、部員が練習に来ない時があったんですが、僕自身は縛りつけるのではなく、「練習にみんなが来ないのは練習内容が悪い」と考え、工夫をしていましたので、ギャップがすごかったです。
– 高校時代との違いもそうですが、米本くんの価値観や考え方とのギャップもすごかったんですね。
かなりしんどくて、1年生の9月くらいに鬱になりました。
その時はもうロボットのようでした。
練習に行ってロボットのように淡々と練習をしていれば、それで文句を言われないので。
3月の本番が終わった時には、休団をしました。ここまでが大学生活の序章ですね(笑)
自分たちで創るオーケストラ
– 続きが気になります(笑)
鬱になる前くらい(9月前)に、地元(愛知)に帰った時に、高校時代の部活仲間にこれまで話したようなことを伝えたんですね。
じゃあ、友達も「うちもそうだよ〜」ってなって。
だから「じゃあ、新しくやるか!」って言って、新しく高校時代の仲間とオーケストラを作ることになりました。
ここからは楽しかったです。
– 高校の友達と一緒に始めたんですね。すごい行動力ですね。
最初は高校時代の部長と2人でした。
部長が関西に来た時に、ドライブをしながら「どう進めていくか」ということを考えました。
最初は、「高校時代の最後の演奏会で弾くことができなかった交響曲をやろう」という話になりました。
だけど、これでは人(演奏者)は集まらないと思ったんですね。
– それはなぜですか?
というのも、指揮者は僕がやるんですね。
僕ってただの「同志社大学の米本明」でしかなくて、名前も知られていなくて、
何のブランドもない、何者でもないやつなんですね(笑)
じゃあ、そういうやつの下に人が集まるかというと集まらないんですよ。
なぜ人が集まるかというと、大体は指揮者が有名なプロの方だからなんです。
僕がやっても集まらないんですよ。
「米本とか言う変なやつが何かやってるぞ」くらいにしか思われないんです。
– なるほどです(笑)だから、他の打ち手を考える訳ですね。
そうです!その時に僕が思いついたのは『劇付随音楽』というものです。
– 劇付随音楽?
これは他のどの団体もほとんどやらない珍しい曲なんですね。
でも、僕は一回演奏を見たことがあったので、「あ、これやればいいんじゃない?」って思いました。
– 有名な作品だけど、みんながやっていないやつをやろうと。
そうです。千切った曲は有名なんです。
例えば、「序曲」とか「結婚行進曲」とかですね。
結婚行進曲は有名で、「タタタターン、タタタターン、タタタタン、タタタタン」ってやです。(笑)
求心力は行動力でカバー
– あー!よく聞くやつですね。
これは元々は劇の中の結婚式のシーンで使われた曲なんですよ。 他にも千切った曲で有名なものは色々あります。
ですが、この作品を丸々演奏することは日本ではもちろん、海外でもほとんどないんです。
– そうなんですね!でもどうしてですか?
負担がかかるから、です。
劇をつけるためには、劇の演者も必要ですし、合唱団も必要なんです。
彼らはオーケストラとは住んでいる世界が違うので、集めるのがちょっとめんどくさいんです。
さらに、ソロの歌手も2人いる。劇には照明係も必要。人を集めるのがかなり大変なんです。
だから、プロの人たちもあまりやらないんです。
なので、「これをやれば、『米本明』に人は集まってこないかもしれないけど、『夏の夜の夢』には集まる」と思い、この作戦で行くことにしました。
だけど、一緒にやろうと言っていた部長もさすがに「お前アホやろ」と言っていました(笑)
部長は最初は慎重派なんでなかなか動かないんです。
そこで、(協力をしてもらう)難易度が最も高いナレーターを先に捕まえちゃおうと思いました。
親のツテのツテのツテでなんとかナレーターを捕まえました。
で、それを部長に事後報告し、やるしかない状態を作りました(笑)
– 本当に素晴らしい行動力ですね(笑)そこまでされると部長も本気になりますよね。
1年後の2月に公演予定で、その会場も先に予約をしていました(笑)
1年前から予約をしないといけない、という事情もあったんですが、結果的に「やるしかない」という状態を作り出す要因になっていました。
その後は部長も奔走してくれて歌手を2人、演奏者を集めてくれました。
僕自身もツテを使いまくって合唱団の協力を取り付け、部長もツテのあった愛知のオーケストラに声をかけてくれ、ちょっとづつ人が集まっていきました。
練習を始めた7月には30人を超えていました。
– 練習を始めてからはどうでしたか?
もちろん、問題はありました。
さっきの話に戻るんですが、指揮者は無名の米本なんです。なので、めちゃめちゃ舐められてるんです(笑)
– リーダーの立場である指揮者が舐められていると、確かに大変ですね。具体的にはどんなことがあったんですか?
練習に来ない。それだけですね。
その結果、せっかく集まったんですが「やっぱやめる」という人が出て来ました。
– なかなか大変ですね…。その問題はどうやって解決していったんですか?
一つは、指揮の技術には自信があったので、しっかりと演奏の準備を行い、来てもらった人に「こいつやるやん」と思ってもらうことです。
もう一つは、休憩時間や練習後の時間を楽しいものにして、みんなにチームの一員と感じてもらうよう工夫をしました。
みんな「初めまして」という状態だったので。
– 二つ目は米本くんの得意なことだと思います。
この経験を通して、人と話したりすることが得意になったと思います。
仲間の一人に周囲を巻き込むのが得意な人間がいたので、その人と協力して周囲を巻き込んでいきました。
特に新しく入って来た人には、リーダーである僕が率先して関わりを持つようにしました。
そうやってどんどんみんなを友達にしていきました。
最終的に10月くらいには55人のメンバーになりました。
– 本番を迎えるまでに、かなりの苦労があったんですね。お客さんの集客の方はどうでしたか?
本番には321人ものお客様が来てくれました!
– すご(笑)
お金をそこまでかけれなかったので、愛知県のかなり田舎にある、駅から30分ほどの所で実施したんですが、かなり多くのお客さんが来てくました。
メンバーの友達や家族を読んでもらったり、他の演奏会でビラを配ったりしました。
あとは、特にTwitterの更新も頑張っていました。
– お客さんも沢山来て、大盛況だった訳ですね。本番が終わった後はどういった感情でしたか?
本番はとても上手くいきました。
前例のないことだったので、みんな直前まで不安を抱いていましたが、上手くいきました。
ただ、そのことに対して「嬉しい」といった感情は特になかったです。
そういった感情を抱く指揮者は二流だと思っています。
「お客さんをいかに感動させるか」
「メンバーがベストなパーフォマンスをできているか」
ということに意識を向けられるのが一流の指揮者です。
ただ、終わった後にメンバーのみんながロビーで「良かったー!」と言っているのを見ると、すごく嬉しい気持ちになりました。
「今まで一番良い経験をさせてもらいました。お世辞じゃないですよ!」と言ってくれる人もいました。
『自己満足』ではなく『誰かのために』
– あくまでも自分が価値を届けたかった人に喜んでもらえたのが嬉しかったと。過去の話になるかと思いますが、「誰かのために」と思うになったのはいつくらいからですか?
中学の時の師匠(外部の先生)に指導をしてもらった時からだと思います。
中学校で指揮者をやり始めた時は、単に目立ちたいという気持ちからでした。
しかし、ある時に師匠に「それは自己満だ。お客さん、演奏者のために何をすべき、何ができるかを考えなさい」と言われました。
その時にはまだ腑に落ちていなかったんですが、とにかく言われた通りにやりました。
その結果、本当に演奏会でお客さんが喜んでくれて、そこで腑に落ちました。
– そこで価値を実感したんですね。「誰かのために」という思いは、やはり企業を選ぶ上でも重要視しているポイントになっているでしょうか。
「自分たちが儲けることよりも、価値のことを考えているか」 という点は見ています。
加えて、「一緒に働く仲間のために」という部分も重要視しています。 これはオーケストラでの経験から来るものです。
他には「自由さ」というのも僕にとっては大事なポイントになります。
– サマーインターンはどういった企業に行きましたか?
これからリクルートのインターンに行きます。 すでに行った企業はロングライフホールディング(株)という企業です。
介護事業をしている会社です。ここはすごく良いなと思いました。
1dayインターンだったんですが、ワークをするものではなく、実際に介護施設を訪れるものでした。
そこで施設の説明を受けました。
その時に、顧客のことを徹底的に考え、細部に拘っていることがわかりました。
介護の現場では、そこで人生の最期を迎える人もいます。 その人たちが最期の時間を楽しめるよう徹底されていました。
– 今、採用HPを見ましたが、すごい豪華なHPですし、施設もかなり綺麗ですね。 社員さんの中には「介護で終わってはいけない」と仰っている方もいますね。
そうなんです。この人たちは「介護」ではなく「サービス業」だと思っています。
こういった会社の考えや社員さんの姿勢に惹かれました。
– やはり米本くんは顧客に対する思いが強いですね。ちなみに、リクルートのインターンは倍率で言うと5%ほどの通過率なんですが、米本くんはどのような対策を行なって面接に臨みましたか。
今まで話して来たようなことをもう少し端的にまとめ、相手に伝わるように客観的な情報を入れるようにしました。
僕はどちらかと言うと感覚的な人間なので、担当のキャリアアドバイザーの方との面接対策でこの辺りを鍛えていきました。
本番では友達と話すような感じです。
「こんな事件があったんですよ!」
「練習来たら誰もいなかったんですよ!」
といったように、語り口調で話すようにしています。
半分意識して、半分意識せず、といった感じですね。
– 面接は自分自身をアピールする場でもあるので、自分の特徴を出すことも重要ですね。では、時間もそろそろなので、最後の質問にしますね。
– お話を聞いていて、米本くんは自ら機会を作って、その機会から学ぶ姿勢が強い人であると感じました。 ただ、それって結構難しいことだと思います。 自分から何かを始めることに対して、躊躇をしたりすることはないのでしょうか。
ありますよ。ありますけど、それ以上に「やりたい」と思っていました。
その思いが強かったので「最終的にはやれる」とも思っていました。
やりたいと思っている状態であれば、できない理由を探すよりも、「できるようにするためには、どうすればいいか」と考え続けて行動する方が良いと思います。
それが『覚悟』だと僕は思います。
ただ、あくまでも「やりたい」と思っていれば、です。
僕も本当に「やりたい」と思っていなければ、そんなことはできません。
過去に「やりたい」と強く思っていないことをリーダーとしてやらされたことがあったんですが、それは途中で投げ出しました。
– 「自分自身が本当にやりたいと思うことは何か」と考えることが重要ということですね。本日はお忙しい中ありがとうございました!